野望と実現:教育からビジネス界への一歩
タイトル案を後ほど提供
体育の夢から国際ビジネスへの転身
体育が好きだったので、将来は体育教師になりたいと思い、せっかくなら日本最高峰と言われる筑波大学体育専門学群で学びたいと考えるようになりました。大手塾より、一人ひとりをしっかり見てくれる個別塾の方が自分に合っていると思ったからです。2歳上の兄が通っていて成績が伸びたのを知っていたので、安心感もありました。
部活動から学問へ、そして世界の舞台へ
偏差値は40台で、学校の成績も下から数えた方が早いぐらいでした。高2の夏に入塾しましたが、部活もしていたので塾に行っても身が入らず、とりあえず通っているだけの状態でした。本格的に勉強に取り組むようになったのは、高2の冬。筑波大学の合格発表を見て、「1年後に番号がなかったらどうしよう。間に合わないかもしれない」と危機感を持ちました。そこからスイッチが入り、勉強量が一気に増えました。
教室から企業へ:教育とキャリアの交差点
全体的に点数が低く、5教科すべてを頑張る必要がありましたが、圧倒的に苦手だったのが数学。朋子先生にマンツーマンで教えてもらい、かなりの時間をかけました。筑波大学体育専門学群の入試には、実技があるので、トレーニングと勉強の両立も大変でした。高3の秋に成績が伸び悩んでいたため、学校の先生からは「進路変更をした方がいい」と言われましたが、先生は「筑波大学に行くためにはこれをしよう」と淡々と言ってくれて。信じてくれていると実感でき、精神的に支えられました。
学びから実践へ:スポーツとビジネスの融合
部活は陸上部に入り、十種競技に挑戦。体育教師になりたいと思っていたので、10種目できる先生の方がいろいろと教えられると思いました。課外活動では、さまざまな国へ行きました。青年海外協力隊の隊員としてカンボジアに派遣され、現地の大学生と協力してスポーツを通じて障がい者を理解する活動をしたり、英語のスコアを取るためにフィリピンへ行ったり、アメリカへは1年間留学し、「スポーツを通じた国際開発」というテーマで学びました。
夢の追求:スポーツからマーケティングの世界へ
商社の海外事業部で、マーケティングの仕事をしています。日本ではまだ無名の海外ブランドを認知してもらうため、テレビCMを作ったり、インフルエンサーを起用して展示会を開催したり。やり取りは、すべて英語です。高校の頃に目指していた体育教師にはなりませんでしたが、大学時代の経験を活かし、グローバルな仕事に携われて、充実した日々を送っています。
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